d:id:finalventtwitterに反応してたんだけど、携帯だったのと焼酎飲んでたので全然頭がうまく回らなくて、でも言いたいことがあるうちに言っておこうと思って残してみる。

今食べてるおいしいものって、昔食べておいしかったものの蓄積があったりする。そりゃ今いきなり初めて食べてうめーって思うものもあるだろうけど、昔の舌の記憶ってのがあって、それと比較してるんだろうなあとか思う。そんな中で、例えに入れた野蒜は春のものなので、今の時期のものということで、アケビとかムカゴなんてのが思い出せるというか、濃厚に舌の記憶がある。

別に貧しいとは思わなかったし、実際親父も車をチョコチョコ乗り換えるぐらいの余裕はあったみたいな幼少期、よく山野草を摘みにあちこちに連れて行ってもらってて、そのときの旅行ともいえないハイキングのような、なんだか懐かしい時間が一緒に蘇ってきて、秋の高い空の下で犬と一緒に(これは猟犬の訓練もかねてたんだけど)、山芋掘ったりとか、まあそんな生活をしたことを一気に思い出して、泣きそうになった、それだけのことなんだけど。あのあまーいアケビの味と、ご飯と炊いたムカゴの味、当時はそういう言葉もなかったけど、山芋アレルギーだったんだよな、俺。でもうまいから我慢してたら治ってた。

今ある自分を否定することは全然なくて、そりゃもちろんもっといい様にやり方はあったんだと思うけど、大学中退して、フリーターやったり、バイク便やったりとか、まあそれなりの馬鹿な生き方をしてきて、今は何故かLinuxに割と近いところにいて、それなりに充実して、いまだに学習できることはないかと貪欲に周りを見つつ、こんなとこで日記書いたりして、それが結構小さな幸せのような、いや、そういうものではなくて、ほんと俯瞰的に自分を眺める術があってそれをなんとはなく覚えてきた自分に、そして自分を作り出した父や母に、あるいは周りの友達やいろんな人に、感謝というか、むしろ畏敬の念というべきか、そういった思いもあるのが、面白い。

そんなことをつらつら考えながら芋焼酎呑んで適当なものを摘まんで、もばついでついったー追っかける生活って全然悪くない。思考の淵をゆっくりと歩いているようなそんな感覚は、時折自分の中に舞い降りてきて、何かを書けとせっつくので、まとまりのない文章を推敲もせずに一気に書き上げるのであるよ。

一言で表すと、酔っ払っても何しててもうまいものの記憶は残るかもしれんなーということだ。それにまとわりつくものも含めて。