なんかバイク便の話をtwitterでしてたんだけど、あの業界とはてなって全然接点がないような気がしてて、そこに突っ込まれると思わなかったので驚いた。なんかバイク便ってそれだけで、ひとつの世界を共有しているような、そんな仲間意識みたいなのがあるんで、本当に面白い。バイクに乗るってのが多分その世界の共有の鍵だと思うんだけど。そのバイクに乗るってレベルで阿部典史の訃報は心にずんと響いた。今までに何人かバイク乗りを失ってきたときに感じる、胸をえぐられたような喪失感が沸き起こって、どうしようもない。涙は出ない。親しいバイク便仲間を亡くしたときも涙は出なかったけど、いまでもやっぱり喪失感が残ってる。自分の一部というか、今の自分を構成している何かの部品が少し欠けたような。
バイク乗りだから特別ってわけではないのかもしれないけど、YZF-R1に乗って走っていたノリックがもう今は動かない何かに変わっていることに、やっぱり激しく喪失感だけが残ってしょうがない。残されたバイク乗りとしては同じ轍を踏まないように、死なないことが、走り続けることがバイク乗りとしての追悼というか、生き様の見せ方なんだと思う。大治郎の時も思ったんだけど、走り続けることがバイクが危険な乗り物ではないという唯一の証明方法なんだから、俺もお前らもみんな走り続けなくちゃだめだよ。